とっておきたい日の話。
自分が心から笑っている写真を何回も見返すけど、
どうにか言葉や何かにしてアウトプットしないと
もったいない気がした。
思い出も、鮮度が高いうちにお料理しましょ。
ということで本題。
久しぶりに会った瞬間から、帰っていく背中を見送るまで、
わーい
きゃっきゃ
…というテンションで2日間ずっと過ごしていたら
少し明るくなった(気がするだけです)
ずっと話は尽きないし、ずっと面白かった。
「USA」から始まり、
「ショウジョウバエ渡された」とか
「アメコミみたいな猫」とか
「そんなこと一言も言ってないよ?」ってレベルの空耳、
思い出したら図書館で突然笑い出しそうになって困った。
そうしたら「電車の中で急に泣き出す井口理」を思い出して
更に困った。
それはさておき、一緒に食べるご飯は
こんなに笑いながらご飯食べたのいつぶり?ってくらいリラックスできた。
目の前で私の大好きな料理を
私が初めてその料理を口にしたのと同じくらい美味しそうに食べるのを見ていると
とても嬉しくて幸せで満たされた。
美味しいものを食べたときに、誰々にも食べさせてあげたいなぁって思うことあるけど、地理的な問題とかで実現が難しいことのほうが多い。
だからこそ、あの時の嬉しさはひとしおだったんだろうか。
って、今日はどうした?と思い始めたみなさん。
先に申し上げますと今日のブログはこの調子です。(そこ、オエーとか言わないこと。)
本来人間は、他人の前で素でいられることが滅多にない。
ましてや、触れたりするのはもっとも緊張すること。
でも昔から気を許した相手には
突拍子もなく大胆になるところはあるらしい。
自分から腕を組むなんて初めてだった。
ほぼ素面だと思ったけど、お酒飲んで人恋しくなってたのかもしれない。
なにより人通りのない夜道を一人で歩くのが怖かった。
何かにつかまっていないと、ふとした瞬間に連れ去られる心許なさがあったから。
咄嗟にぎゅっとした二の腕がパンみたいに温かかったからか、
しっかりしていたからか、安心感の方が大きくて、
思ったほどドキドキしなかった。
でも実はそれがよかった。
ときめく余裕もないときに、リラックスさせてくれる存在というのは有難かった。
ずっと話していたけれど、相手が話し出す度にわくわくする気持ちはずっと変わらなかった。
話してて楽しい人というのは、私が思うに、
批評や否定をせずに自分の好きなことだけよく話す。
そう、好きな映画のことや、音楽のことを
生き生きと話すのを前にすると
もう心配事とかどうでもよくなっちゃって。
飄々としてる人のそばにいるだけで、自分も
心に余裕が生まれるのは本当。
会ってる間中楽しすぎて、
本当は、いいたいことが山ほどあったけど言わなかった。いつも喉まで出かかって、やっぱり辞めてたの、なんでだか知らないだろうな。
漫画とかでよくあるツンデレって、
なぜ言葉で素直に言えないかというと、単純に照れだけではなく、
頭に浮かんでいる言葉はあるものの、使いすぎると
重みがなくなるのを恐れているのだと思う。