TEDx前編

どうも、芋泥と仙草凍と薏仁がトッピングされたかき氷をこよなく愛するかおりこです。

 

最近は人間関係で磨耗しており、

惨憺垂らす毎夜を過ごしていました。

要は孤独をこよなく愛していたんですけど

って言うか、今までの日常が、心を蝕むと感じていたんです。

図書館にいても、部屋にいても、心を埋めつくしてやまないのは嫌なことばかり。

で、工作室で過ごしたり、もっと違うのがいいときは

校舎で過ごしたりしていんですね。

しかも暗いところ、人のいないところじゃないと集中できなかった。

人に見られたくなかったんだと思う。ストレス体制が落ちてきた?

本当に一人が大丈夫で、むしろ暗闇だろうと教室だろうと

一人でいることを望んでいる。ほっといてくれって感じ。

お化けがいてもまあ仲間仲間、みたいな。闇と仲良くなった。

 

それで、心のない愛は、ただの受け身だとかのちょっと深そうで、

意味がわかりそうでわからないキャッチコピーに惹かれて

このイベントに来たわけなんです。

 

ここ二ヶ月弱に、いつもそこにいて当たり前の人やモノが

ある日を境に急に疎遠になって、もしかしたらこれは、私が常に受け身だったからかもしれない。

と反省したりしたものです。

失って改めて感じる、当たり前の日常への感謝ってやつですね。

今は、感謝どころか、諦めの体制に入っているんですけど。

 

で、解決の糸口がつかめたわけではないし、

そもそもそれを期待して来たわけではなかったけど、

たくさんのエネルギーをもらいまして、

どうしようもない日々を断ち切るきっかけにはなったと思います。

その証拠に、その日の夜は、美味しいだけで健康にはよろしくない食べ物(ラーメンとか、菓子パンとか)の誘惑を断ち切ることができました!

前日は、夜の10時にかき氷食べていたのに。すごい変化だと思いませんか。

 

今日の本題、tedです。

今師範大学に通いながら、短編動画を通して

健康に関する正しい知識の普及に務めていらっしゃる、

体操のお兄さんに匹敵するほど快活さん。

話し方が一番聞き取りやすく、そして内容も分かり易かった。

はじめに問いかけられた質問は、

400万元あったら、何しますか。」

私は、親孝行したいマンなので、

親に家を買ってあげたいなあと思った。

自分に投資して、いい仕事に着く、というのもあるけど、それはいまやっているし、

そこはお金でなんとかなるってもんでもないので、保留。

でも、もし仕事しなくても生きていけるような時間があったら、

多分、インスタで漫画とか書いて、本出版したりする。

話は戻り、

その400万というのは、病気にかかったら医療費に使われてしまう額なのだそう。

ええまじかあ。

9年間も仕事しなくていい額を、、

たくさんの旅行ができる額を、、

病気になってしまったら使えないんだ、

それは勿体無いなあと思った。

前に、新聞で、旅行にいかなかったら、今頃マンションでも買っていたかもなあ

と若干後悔気味に言う旦那に対して、

旅行していなかったら、今頃病気になって医療費に使われてたよ

と笑う妻のことが書いてあったのを思い出し、いまとなると、

あながち間違いでもないんだなあと思った。

同じお金を使うなら、もっと前向きなものに使いたいよね。誰だってそう思うはずだ。

よく「体が資本だよ」「健康第一」と大人はいう。

しかし、ここまで本気で健康を考えさせる伝え方をする人は今まで一人もいなかった。

この人の作った健康盟というサイトのロゴは、いいと思った。

私が思ういいロゴとは、パソコンでたくさんのタブを開いたとき、埋もれないくらい

識別性の高いものをいう。

最初、「健康促進に関する正しい知識を動画でわかりやすく説明するサイト」、というものに、

正直そこまで関心を持たなかった。

しかし、その人が、医療費が他のもっと必要な人に回せられたらいい

と言うのを聞いて、一人一人が体調管理をしっかりすることを、

自分一人の問題ではないんだなあ、もっと深刻で大事なことだなあと感じるようになった。

そして、たくさんの人が、体のサインを見過ごしているうちに、病気が取りかえしのつかないところまで

悪化してしまったり、

間違った情報で、健康を促進しているつもりが、健康を損なっていたり、と言うことが多すぎると話していた。

日本でも、前に、適当な健康に関する情報を流していきなり消された大きなサイトがあった。

そのサイトだけではなく、ネット上の多くの情報が、間違いで溢れている。

そんな時代だからこそ、政府の発信する健康に関する正式な情報が求められるのに、誰も見ない。

そこに目をつけたことに価値があると思う。

私はいま生活リズムが崩れていて、実際肌荒れをしているし、咳もちょっと出ているので、

これが巡り巡って大事に至らないように、もうちょっと体を大事にしようと思いました。

 

青虫AOI

この人のアラサーに見えない感じ。

この幼さや自由さを残した感じ、下北沢にいる夢追いミュージシャンみたいだなあと思った。

それがいいとか悪いとかではなくて、自分はどうなんだろう

こう言う人生どうなんだろうと思ったりした。

歌はaimerみたいにふわっとした高音の歌い方だった。

それが好きとか嫌いとかじゃなく、そう言う歌手だったと言うだけ。

その人の歌う「青鳥」

歌詞は全然聞き取れなかったけれど

この歌は、アラサーになって、周りが結婚や出産をしたり、自分もそう言うのを考え始めた時に、

出産した友達やその赤ちゃんに向けて書いたらしい。

そして、なぜこれを親になる人に当てて書いたかと言う理由を聞くと、とても共感した、

そのシンガーソングライターいわく、親の子供に対して理想の職業とか生活様式を押し付けないでねって

意味を込めたそうである。

それを聞いてなんだか共感した。自分はいま特になりたいものがあるわけでもなくて、

でもなんとなく、気ままに暮らしたいなあと言うのはあって。それが親の求めるような社会人像とは違うかもしれないし

でもそれが、自分にとって一番気が楽なんじゃないかと

親の理想だとかはただの主観だ、世間の枠(社會的框架)に当てはめてるだけにすぎない、って言うのもわかるけれど。

でもせっかく大学まで出してもらっといて、適当な仕事はつけないなって言うのはあって。

端的に言うと、就活やだなって感じです

だって私しっかりした人と働くと絶対トロイって思われて仲悪くなって終わるもん

自分がストレス溜まって相手にもストレスたまっていいことないもん

それだったら自分一人でできる仕事の方がいいなあって思うんだ

問題はそう言う仕事するほど好きなことがないってところかな(致命的)

さてさて

あとは「ふーらんやー」って言う台語の歌、動物愛護の歌も歌ってた。

そして次の歌で本当に泣いた

透過台語的歌來提升父母對我們年輕人在關心的議題的興趣

父や母には、いろんなことを分かち合うこと、わかってもらうことを諦めてきたかも。

本当はわかって欲しくても、気持ちに蓋をしてきたかも。

くだらないことも、暗いことも、悲しかったことも、怒ったことも

もっといろんなことを相談したかった。

できなかったけど。

そう思ったら、毎回スカイプの時に話題がみつからない理由ってやっぱり、

心から楽しい話題とか全然ないのに暗い話題を避けてたからなんだ、

話したいことをあえて隠して、辛かったなあ、しかも無駄だったなあと思うと、泣けてきた。