全身拘束のよみがえる記憶
今日は4月26日。9年前の今日、拒食症で入院した病院で、全身拘束された。そしてその拘束が連続3か月も続くとは、つゆほども知らなかった。
ひたすら泣いた
今日は何気なく過ごした一日だったけど、ふと、森療法というらしいあの全身拘束の治療法で私のようなつらい経験をした人がいないだろうかと、調べた。「森療法 泣く」で検索しても出なかったが、「ベッド 拘束 泣く」で検索するとたくさん出てきた。なぜ「泣く」を検索ワードに入れたかというと、全身拘束されていた日に泣いてない日はなかったから。
長すぎた全身拘束の影響
さて検索結果の中にはNHKのハートネットTVが全身拘束を経験した人の経験談を募集していたページもあり、そこに寄せられた回答を見ていると、看護師とか医師が悪いなあと思った。治療の正確性とか人権にかかわるとか以前に、あれはひたすらにただただ、ひたすらに辛い。しかもひどいのが、治療後に何かしら不調が出ることだ。私の場合は、歩行不可と、関節の曲げ伸ばしができなくなった。そりゃ3か月間、同じ格好で寝させられたから当然っちゃ当然だ。そんなことも分かっていながら、自力で座る筋肉すら無くなるまで、拘束し続けた意味があったのかは疑問だ。
退院2日前にやっと退院日が知らされる
7月20日にいきなり看護師に、明後日退院できるからって言われたときのうれし涙は忘れない。なぜ突然だったのかは、後に。いつまで続くかもわからずに、今月中には、遅くても七夕までには、と一日一日、囚人が壁に正の字を書いて日数を書くように、頭の中で毎日日付を確認していた。このような長く退屈で悲しいだけの日々が、残りたった2日で、終わるんだと思うと、非常に長い間待ち望んでいた自由を手に入れられた!と、とにかく嬉しかった。
全身拘束されている患者の家族目線
思い出せば、両親は、せめて脚だけでも自由にしてやれないかと主治医に訴えたり(私が拘束を自分で取った、と聞いて。)、直接会えない分、パジャマに刺しゅうを入れたり(私が刺しゅうに気づくと看護師によって外され、洗濯中に外れたのだと嘘をつかれたが。)、遠隔ながら精いっぱい私の入院生活をサポートしようとしてくれてた。身内が全身拘束をされている家族の気持ちになってみると、なんとも歯がゆい思いなのかもしれない。
精神病患者が想像する家族
退院できた理由が、親が苦労して代わりの病院を見つけてくれたからだって知ったときはかなり驚いた。てっきり、精神病患者がいなくなったおかげで元気に暮らせていると思っていた。それが、まったく違った。全身拘束をしない病院を求めて、駆けずりまわってくれていたのだ。
入院中は面会はおろか、家族間のコミュニケーションはすべてシャットアウトされ、家族の気持ちなど知る由も手掛かりもなかったから、仕方がないとはいえ、当時の家族の気も知らずに、一人病室で一人取り残された気がしていたのでは、どちらにとってもプラスではなかった。
なぜ家族のことを考えることでさえも禁止されなければいけなかったのか。治療法のマニュアルにそう書かれているから、が理由なのだとしたら、もっと患者一人一人に合った方法をとったほうがいい。
今思い出しても、全身拘束の治療法は正しい選択だったのかと疑う。
このブログを読んで共感する人がいなかったらそれいいが、同じ気持ちになったことのある人がいたら、この記事に共感してくれますように、と願うのはおこがましいだろうか。