音楽のはなし

 

 

米津玄師の曲をどこかで聞き始めた。

最初に聞いた歌は何だったかなあ

 

以前、急に親元を離れて、1年だけ名古屋に住んでいた時がありました。

記憶のどこを切り取っても、幻に感じられる不思議な期間の話です。

 

もう名古屋に住む理由がないので帰れませんが、

その期間のことを、自分の人生の中の名古屋時代とよんでいます。

 

 

米津玄師の曲を聴くと

そのころの、電車通学とかの風景とか、

晴れ渡った午前中の栄とか、

親戚の家で過ごしていた和室の畳とか、

通っていた語学塾のクラスメイトとか思い出しちゃって

当時は自己嫌悪の日々だったのに、今となっては

良かったことしか思い出せないのが謎です。

 

悩みがあるのも悪くない

あの頃は人の優しさに飢えていましたが、

今はそれほどでもなくなりました。

人のやさしさが必要なくなったというのは

強くなったからなのかと聞かれれば、強くなったというより、

経験によっていちいち悩まなくていいこととの区別がついた、という感じ。

当時のストレスの原因とバイバイしたのもありますが。

それでも新たな悩みは尽きません。若いうちはそれでいいと思っています。

一般的に悩みがないことはいいことだと言うけれど、

どんな悩みにせよ、時間をかけて考える機会を与えられること自体、

誰もが得られる権利ではないので、貴重な経験だと思います。

 

 

それに、悩みぬく過程にメリットもあります。

(個人的な見解です)

 

人の依存症になるほど思い悩むと、アウトプットするのが癖になる。

電車で1時間半ほど通学していたので、行き帰りの電車で常に考え事をしていました。

その時に、思いついたことを書き出さないと整理できない性分だったので、

タブレットのメモ帳につらつら書いていました。

この癖の延長上に、ブログがあります。

最初は自分のためだけに書いていましたが、人に向けて書くようになりました。

ゆくゆくは自分の文章がいつか世の中に出たら楽しいだろうなと思います。

苦しいときの出会いは、長く続きやすい。

名古屋で大学に通っていた時に、数少ない友達ができました。

会って間もないころ、その子は言いました。

「なんか将来の話をすると、すごく顔が曇るね」と。

その子はよく見てくれてるなって印象が強く残りました。

それからは話せば話すほど

その友達は私がその大学を中退した後も唯一連絡を取っている友達になりました。

 

辛そうにしている知らない人に、私欲とか関係なく

声をかけてくれる人と言うのは、もちろんその人に心の余裕があるから

というのもありますが、

多少は第一印象をみて、自分に合っていそうだと思うからこそ

声をかけるまでに至るのではないでしょうか。

そして、そうした複雑な過程があるからこそ、大変なときというのは

気が合う人と出会う確率が高くなるのだと思います。

 

 

 

お待たせしました、米津玄師の話です。

先ほど挙げた例は「人」でしたが、

ここで言う「出会い」は必ずしも人ではなく歌とか街並みとかもあります。

当時でいえば米津玄師のwoodendollの、

「愛情や友情はあなたがいくら疑えども、一方的に与えられて、あなたが決められるものじゃないや」

という歌詞が、当時の人間関係の悩みを形容していました。

 

歌の歌詞が癒しになるのなら、その歌詞を書いた人にも

こういう日々があったのでしょう。

米津玄師もきっとこういう日々があったのでしょう。

シンガーソングライターに限らず、きっと誰しもこういう日々があるのではないでしょうか。

そういう歌詞を集めて展覧会にしたら、癒されそうです。